命の果は何?
死か?
存在か?

存在なんて証明必要ない、でも哲学は存在証明のために存在した。
そのために、色々な思考現われだ。
仏教の阿頼耶識はすべての縁起ですか?
万物は元々ひとつの存在。
ならば、なせ、なんのために万物の成ったんですか?
円満は不円満に成ったか?
それとも、不円満は円満に成ったか?

日常の退屈な螺旋。
退屈の後何があるか?
無価値か?無意味か?
それとも命の本質か?

どれは真実?どれは偽?
それとも真実たす偽と世界の本質になるか?

運命なんて、本当にあるのか?
運命は変えられないのか?
人は何のために存在するのか?
死のためにか?生きるためにか?
自分の存在証明のためにか?





最後の最後。
もう春ですね。
学校の中でいろいろな花が咲いた。
花を見る時、君を思い出しました。
もし......君もこの風景を見えるならよかった。
ああ.......君に会いたい。
もう何日過ぎましたか?
毎回木の上に掛けた御守を見たとき、君を思い出しました。
ねぇ、君、知ってるよね。
君が亡くなった以後、私またこのような君の事思い込む。
バカだね、私。
でも仕方がないな......
君の事忘れたくないだから。




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    yolunohoshi 發表在 痞客邦 留言(0) 人氣()